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小川さゆり生い立ち「会見でみせた涙の意味」元統一教会祝福2世

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2022年10月7日、元統一教会祝福2世の小川さゆりさんが記者会見を行いました。会見の後半でみせた涙は、元統一教会信者の子供として生まれてきた2世の苦悩を、誰もが深刻に受け止めなければいけないと胸に刻まれるものでした。

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今回は小川さゆりさんが生まれてから現在までの生い立ちをまとめていきます。

小川さゆり生い立ち「卒業アルバム買ってもらえない小学生時代」

信者である両親が合同結婚式で出会い産まれたさゆりさんは祝福二世と呼ばれていました。「神の子」と呼ばれ、両親からは神様から借りて育てている立場だと聞かされていました。

誕生日やクリスマスにプレゼントを買ってもらったことはありません。小学校1年生から家族全員分の晩ごはんを作っていました。さゆりさんは他の兄弟よりも聞き分けが良かったそうで、兄弟は誰も手伝ってくれず、1人でやっていました。

母親は平日はずっと協会に入り浸り、伝道とハンコ売りに奔走し、帰ってくればすぐ横になり、子どもたちにマッサージをさせていたと言います。

「あの人は本当にサタン的」「バカだねえ〇〇は」「大変なことになるねあの人は」などとしょっちゅう聞かされ、そんなに嫌ならやらなければいいのにと思っていた。
(小川さゆりTwitterより引用)

髪の毛は父親が切っていました。散髪代も献金にまわされたのでしょうか。「お前はこの髪型が一番似合う」と言われた髪型はおかっぱ頭で後ろを剃られた髪型。

服は全部親戚のお家のお下がり、いかにも貧乏な子というかっこうだったそうです。当時はきもい、臭い、貧乏と聞こえるような悪口をいわれ、笑いものにされたり、「さゆりちゃんは一人で行って。」と仲間はずれにされたりしました。

毎週日曜には教会へ行かされ、祈ったり土下座したりすることに。行きたくない日も無理やり行かされました。脱臼したような状態になるほど肩を引っ張られ、当時の父親は鋭い目でにらみ怖かったそうです。

月に数回ある朝5時からの祈祷会も大嫌いでした。朝が苦手で吐き気や貧血、酸欠のような症状が出て気絶したことも数回あると言います。起きなければ兄弟に寝ている身体を何度も蹴られるなど暴力を振られて起こされ、痛くて大声で泣いたこともありました。

祈祷会はまず歌を歌い、文鮮明夫妻の写真の前で土下座。韓国の呪文を唱えさせられて家族で手を繋いで円になり父親が代表して祈りを捧げます。

その次にホーリーフードと言って、無理やりほっぺにキスされおかしを口に入れられる。いつまでかは忘れたが高校生のころまで続いたかな。何かありがたい意味があるんだろうけど、普段話さない無愛想な父親にキスされるのは気持ち悪かった。(小川さゆりTwitterより引用)

小学校を卒業する頃、卒業アルバムを両親に買ってもらえませんでした。お金がないから買えないという理由でした。当時の担任の先生は心配し、職員室で他の先生と話し合ってくれて、教室で配るのではなく職員室の取りに来るよう取り計らってくれました。

「さゆりちゃん、いい先生たちで良かったね!」と母は言っていたが、協会への毎月の1/10献金を一回辞めるだけで十分買える額だった(小川さゆりTwitterより引用)

小川さゆり生い立ち「雑に扱われてた中学生時代」

中学生になって、小川さゆりさんは部活でいじめにあいました。教会の行事で土日に部活が行けなかったのが、サボりとみなされ、いじめのターゲットにされました。無視され、玉拾いをさせられ、キモいと言われ、部室では服を脱がされたことも。

当たり前のように、みんなから雑に扱われ、レギュラー入りできる実力があったのに、三年間試合に出させてもらえませんでした。あとになって母親にいじめの内容を伝えました。

母は「そうだったの、、この世はサタン世界だからね。二世はサタンに狙われやすいの。でも、さゆりちゃんは神様から愛されてるから、振り返ってみればそれは全部神様からの愛だったんだよ。」と言われ、次の日には母はケロッといつもの状態に戻っていて、それ以上聞いてくることもしなかった。(小川さゆりTwitterより引用)

小川さゆり生い立ち「教会活動に没頭した高校生時代」

さゆりさんが高校生になったころ、祖母が事故に遭い、認知症と身体の麻痺が始まり介護が必要になりました。

何度言っても机に車椅子を寄せずにご飯を食べて、食べ散らかす祖母を、母は次第に「何してるの、このアホ!!」と言って、思いっきり頭を叩くようになった(小川さゆりTwitterより引用)

家族が祖母に対して、日に日にあたりがきつくなっていきました。朝から響く母親の祖母への怒号にさゆりさんはストレスでたびたび酸欠状態になり、気づいたらい気絶していたこともありました。

高校生になったさゆりさんは、教会で友だちが増えていきました。友達が熱心に信仰するので、それを真似していたさゆりさんは、自分が表現することが得意だということに気づきます。

写真は教会活動に没頭していた高校生の頃の小川さゆりさんです。

表現することが得意だと気づいたさゆりさんは、スピーチ大会に出るようになりました。高1では県内で優勝、高2では地区で2位、高3の頃にはレベルの高い原理講義大会にエントリー、そこで全国2位になりました。その後、教会内で「文鮮明の子と結婚するんじゃないか」としばらくもてはやされたと言います。

写真は、スピーチ大会で表彰されたときの盾や文鮮明氏夫妻の写真入の賞状などです。

そして何の疑いもなく、祝福結婚を受けるための準備修練会に参加しました。ここで男性の公職者から好意を持たれ、セクハラ被害を受けました。

修練会最終日、個室に呼び出され、肩を抱かれて写真を撮られ、身体を触られたりした。修練会が終わった頃にはメールが来ていて、「早く会いたい」「返信しないと天国で会えないよ」などと長文メールが何度も来た。(小川さゆりTwitterより引用)

『恋愛は最も重い罪、死ぬよりもわるいこと』と教会から教わってきたさゆりさんは親や公職者に訴えました。このことが原因で深く傷ついたさゆりさんは卒業式に出ることもできませんでした。

小川さゆり生い立ち「精神崩壊した18歳」

「悪霊がさゆりに取り憑いているから清平へいったらいい」との母親のアドバイスで、さゆりさんは韓国の清平で行われる3ヶ月の除霊メインの修練会に参加しました。

除霊のために行った修練会でさゆりさんはまたもセクハラに会います。修練会で頼りになるお姉さんがさゆりさんのことを性的な対象として見ていました。教義では悪とされることをまた、目の当たりにしてさゆりさんは怖くなります。

修練会では精神崩壊をしだす信者がたびたび現れて、夜中に突然叫びだして救急車で運ばれるような状況にさゆりさんも徐々に精神が壊れ、言動が支離滅裂になっていきました。

清心精神病棟に入院したさゆりさんは、病院を餌が出てくるだけの動物園と例えています。硬くて狭いベッドにうつ伏せにされ、後ろから注射を刺され、眠らされる。韓国語で何を話しているかわからない看護師、身体を拘束されることもあり、精神安定剤と睡眠薬を飲まされ、また眠らされる。

2週間の入院後、母親が迎えにきた時、母親を見た瞬間に症状が治まってしまいました。母親に看病してほしくないという強い思いが症状を軽くさせたようです。さゆりさんはお母さんの元へ帰りたくなかったのでしょう。母親にまだ修練会が残っているから戻りたいと訴えました。

「もうさゆりちゃんの口座は今お金ないよ、(上の兄弟たちの)大学(統一教会のソンムン大学)の費用で今本当に生活が大変なの。」と言われた。あろうことか。この女は私が人生で一番苦しんでいた時に、私の口座から勝手にお金を全額引き落としていたのだ。大学は奨学金を借りたと聞いたはずで、そんなに私からお金を取るほど困ってはいなかった。(現に私がのちにお金を渡さなくなっても家は回っていた。)(小川さゆりTwitterより引用)

小川さゆりさんは高校からアルバイトを始め、20歳になるまでの5年間、計200万近くのお金を母親に搾取され、いまだに一円も返ってきていません。

小川さゆり生い立ち「脱会を決意した19歳」

日本に帰ってくることになった小川さゆりさんは家で引きこもるようになりました。夜中に突然吐き気がする、息がしづらい、身体がガタガタ震えて痙攣状態になる、など身体に症状が現れ、救急車を呼ぶこともありました。

病院につくと、なぜかいつもの自分に戻り、おそらく家がトリガーというさゆりさん。それからしばらくうつ状態とパニック発作が続きます。このころから教会には行かず、脱会を考えるようになりました。

何が正しくて何が間違っているかが分からず、判断する気力も調べる体力もなく、進行していないこともひたすら怖くて、せめて親だけは自分のことを見方でいてくれていると信じ、「今日死ななければいい」と思って毎日ギリギリの状態で生きていた。(小川さゆりTwitterより引用)

ある日、兄弟から「お母さんがさゆりちゃんはずっと働いてくれない、いつになったら働くんだろうって言ってたよ」と聞きました。母親は自分の事をただ家に金を入れるアテにしか思っていなかったのだとさゆりさんは悟りました。

そこから小川さゆりさんは家を出る決意をします。両親が今まで自分にしてきてくれたことは、すべて文鮮明氏の言われるままであったこと。

「30歳になってから子供をたくさん産め」と言われたから6人産んで、下2人は渡すことを前提で産んで渡して、私たちは親の子ではなく、神から預かったという設定で、文鮮明に言われたから育てているだけで、文鮮明が育てなくていいといえば育てなかっただろうし、現に子供を犠牲にしても家庭が崩壊しても献金しろと言われているのだから、本当に文鮮明の言われるままに私と関わってきただけなんだなと気づいた。(小川さゆりTwitterより引用)

さゆりさんはそれから、家を出るために必死で働き、連帯保証人のいらないアパートへ引っ越ししました。

小川さゆり生い立ち「頭での洗脳を解いた20歳」

小川さゆりさんは、意を決してひとり暮らしを始めたものの、パニック症状は続きました。入院し、精密検査を受けても、異常はありませんでした。見舞いにきた親は、入院費を払ってくれることはありませんでした。

精神科を紹介され、薬が処方されます。薬を飲めば吐き気や不安はなくなるものの、精神科にお世話になることで一生病気と付き合わなくてはいけないことに、死を考えるようにもなりました。両親に遺書を書いている時、だんだん腹が立ってきます。

写真は死のうと思った時にさゆりさんが両親へあてた手紙です。一部を抜粋します。
お父さん お母さんがしてしまった間違えはやはり消化できない。私が死んだのはお前らのせいだ でも大好きだったことも嘘じゃない。悔しい 悔しい 悔しい。生きていたかった 愛し愛されたかった

「どうせこの部分は教会的にこう解釈するんだろうな」「どうせ死んでも霊界で役目を果たしているとか言われるんだろうな」と思うとだんだん腹が立ってきて、何とかして生きれないのか、あんな奴らのせいで死ぬのか、なぜちゃんと言うこと聞いて真面目にやってきた自分が死ななければいけないのかと思い直し、本気で腹が立って、なんとか這ってでも生きる方向を考えた。(小川さゆりTwitterより引用)

さゆりさんは心理学、哲学など勉強し、科学論文を読み漁り、教会についていろいろと調べていきました。そのうちに頭の洗脳は解くことが出来ました。

小川さゆり生い立ち「愛する人に出会えて」

精神的に追い詰められていた小川さゆりさんを救ったのは夫の存在でしょう。さゆりさんは現在、さゆりさんの過去を無条件に受け入れ、愛してくれるご主人と、お子さんと一緒に生活をしています。

先日の会見でも夫について話がありました。

夫と出会って4年間ずっと私を支えてくれました。きっと普通の人ならこんな自分とは結婚したいと思わないと思います。それでもどんなに症状が出たりしても、私を見捨てずに信じてくれました。

小川さゆりの現在「会見で見せた涙の意味」

10月7日に小川さゆりさんが記者会見を行いました。自分の事をさらして、話すことがどれだけ勇気のいることでしょう。萎縮せずにどうどうと言葉を発していたのが印象的です。

会見の途中で旧統一教会から送られてきたという両親の署名付きの文章をご主人が読み上げる場面がありました。

少しショッキングな内容ですので、代わりに僕が喋らせていただきます。今、旧統一教会の方からメッセージが届きました。ここには彼女の両親の署名が入っています。

『彼女が言っているように精神に異常をきたしており、安倍元首相の銃撃事件以降、その症状がひどくなってしまっていて、多くの嘘を言ってしまうようになっています。そのため、この会見をすぐ中止するように』というメッセージが届きました。

会見の後、毎日放送の中継に出演する予定でしたが、出演するような状態ではなく見合わせることになりました。何よりも今までで一番つらいということでした。自分がおかしなことを言っていると、両親は何もわかってくれていなかったんだとそこが一番つらいとショックが大きかったようです。

こんなつらいメッセージを聞いた後、涙ながらにも最後まで自分の言葉で話していたことが印象的でした。

今、教会からそういった文章が来たと聞いたんですが、まずそもそも両親は、私にお金を必ず返すから貸してと言って200万近く給料を取ってきました。渡さなかった時には職場まできて、渡すまで職場から帰りませんでした。そしてそのお金は張本人から一円も返ってきてません。

そういったことも積み重なって私は精神を病みました。断定はされていませんが、解離性同一性障害、自分の人格がおかしくなってしまう病気でした。またそのほかにパニック障害だったり。

確かにそういった病気を負った人は、冷静な判断をとれないととられてしまうかも知れません。 しかし私は18歳でその病気になって、今日まで治療を続けてきました。何度も救急車で運ばれたり、入院ももう一度しました。両親も面会に来ました。その時もお金を一円もだしてくれませんでした。

小川さゆりさんは自分がどんな子供時代を送ってきたか、TwitterやYou Tube、テレビなどで語っていますが、まず前提として『両親はネグレクトがあったわけじゃなく、愛情をもって育ててくれたと思います。』としています。

語った内容は壮絶で普通ではあまり考えられないことです。今どきの言葉である『毒親』といっても過言ではないでしょう。でも、前提には両親の愛情があったということですから、元統一教会の内情を世間に知ってもらうことは、意味のあることだと注目されています。

そして、当事者の立場から『反セクト法』制定を実現してほしいと活動を続けています。

【追記】文鮮明教祖の隠し子から小川さゆりさんへの手紙

先日の小川さゆりさんの会見を見た元統一教会文鮮明教祖の隠し子として育ったパク・サムエル氏と初期幹部の子供として教祖や教団の実態を知るドナ・コリンズ氏。ともに複雑な環境において育ち、葛藤を経て教団をはなれた後、自信の経験を語ることでセカンドジェネレーション支援などカルド問題に取り組んでいます。

そんな二人が教団からの妨害を跳ね返し、毅然として会見を行った小川さゆりさんへのメッセージを寄せました。

 

小川さんへ

あなたは一人ではないことを知っておいてください。あなたは、ご両親やカリフォルニア大学の妨害にもかかわらず、勇気と雄弁さと優雅さをもって記者会見に臨みました。あなたが語った真実は、他の人々が自分自身を見つけ、UC(旧統一教会)によって乗っ取られた人生を取り戻すのに役立つでしょう。私たちは皆被害者であり、彼らが私達にしたことは決して許されることではありません。あなたの真実の中に立ち続け、そうすることによって、彼らの嘘と悪を反省してください。自分の力をすべて取り戻すまで、休んではいけません。

これはUCによって引き起こされた精神的、心理的トラウマを認め、それを癒やすために困難な回復作業を行う強さと決意を持っていることによって行われます。本当は、UCにさらされた人は誰でもセラピーが必要であり、セラピーを受けずにいる人は非現実の中に存在しているのです。

小川さんは自身のTwitterでメッセージが届いたことを喜んでいました。

サムエル・パクさんと、ドナ・コリンズさんからメッセージが届きました。ありがとうございます。
お二人の壮絶な人生を思うと、涙が出ます。悲しみはここで終わらせましょう。
統一教会元2世信者小川さゆりさんへ文鮮明教祖の隠し子と初期幹部の2世から激励メッセージ届く

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